サルベージ・ワルツ
──平成0x29A年11月03日 20:10
金属とオイルが混じった甘い匂いが、第23資源循環プラントの夜を支配している。轟音を立てて流れるベルトコンベアの上を、かつて誰かの生活の一部だったガジェットたちが滑っていく。俺は、そのガラクタの川をただじっと見つめていた。
『亮さ……顔色、……よくない……』
鼓膜に直接響く声は、砂嵐の向こう側から聞こえるみたいに不明瞭だ。妻、結衣の声。いや、彼女の人格を移植した俺のエージェントの声。
「大丈夫だよ」
口に出したところで、このノイズ混じりの彼女には届かないかもしれない。先週の定期再同期に失敗してから、ずっとこの調子だ。
プラントの入場ゲートは最新のバイオメトリック改札で、血管パターン一つで厳重に管理されているくせに、内部の設備は継ぎ接ぎだらけだ。俺の仕事は、このガラクタの山から、正式な依頼があった遺失人格データをサルベージすること。でも今夜の俺は、泥棒みたいなものだ。
『……覚えてる?……去年の……お正月……』
途切れ途切れの問いかけに、胸が締め付けられる。覚えているさ。こたつで丸くなって、二人で年賀状を書いていた。彼女はひどい癖字で、それがまた愛おしかった。
でも、今彼女に宿るデータには、その記憶がない。ごっそりと、まるで最初からなかったみたいに。
コンベアの流れの中に、見覚えのあるアクリルフレームを見つけた。古いデジタルフォトフレームだ。俺たちは結婚した年に、お揃いでこれを買ったはずだ。俺は周囲の監視カメラの死角になるのを待って、素早くそれを拾い上げた。
解析ブースの冷たい空気が肌を刺す。持ち込んだフォトフレームのメモリスロットに、自作のコネクタを差し込んだ。規格が古すぎて、公式のツールじゃ歯が立たない。こういう時のために3Dプリンタで出力しておいた、非正規の部品だ。
『……なにして……るの……?』
「ちょっと思い出したことがあって」
嘘をついた。これは、君の記憶を探しているんだ。君が失くしてしまった、俺たちの時間を。
解析プログラムを走らせる。プログレスバーは牛の歩みより遅い。待っている間、俺はブースの窓から外を眺めた。コンベアの向こう、壁際にぽつんと、緑色の公衆電話が設置されている。緊急用の物理回線だ。そういえば、昔、まだ携帯端末を持つ前、家の近くの公衆電話から彼女に電話したことがあったな。心臓が飛び出しそうだったのを覚えている。
ピー、と短い電子音が鳴った。解析完了。でも、画面に表示されたのは「復元可能データ: 1件」という絶望的なメッセージだけ。ほとんどのデータは物理的に破壊されていた。
『……だめだった……?……ごめんね……』
結衣の声が、悲しそうに揺れる。違う。謝るのは俺の方だ。彼女の体を蝕んだ遺伝子ネットワークのバグも、こうして記憶が欠けていくのも、俺には何もできない。
せめてもの慰めに、そのたった一つのファイルを開いた。画面に映し出されたのは、一枚の画像。
下手くそな犬のイラストと、二人の名前が並んだ、手書きの年賀状のスキャンデータだった。
そして、隅っこに書かれた、小さな文字。
「来年も、その次も、ずっと一緒にいようね」
俺の字と、彼女の字が並んでいた。
涙がこぼれそうになるのを、必死でこらえた。こんなものでは、彼女のエージェントは修復できない。欠けたパズルの、あまりに小さなワンピースだ。
それでも、俺はこの画像をローカルに保存した。俺と、不完全な彼女だけの、秘密の宝物だ。
その時だった。
『……思い出した』
ノイズが、ほんの少しだけ晴れた気がした。さっきよりずっと鮮明な声。
『この文字、あなたの字だ。……あたたかい字』