代理と本物の、裏口点検
──平成0x29A年08月26日 07:40
バックヤードの蛍光灯がまた点滅している。朝の七時過ぎ、俺はスーパー「デイリーフレッシュ」の裏手で段ボールを積みながら、折りたたみ携帯を開いた。
「姉さん、今日も代理か」
画面には「代理エージェント0xC4が応答します」の表示。姉の人格エージェントは先週から法定倫理検査に入っている。三週間かかるらしい。その間は、こいつが姉のふりをする。
「おはようございます、田中様。本日の業務スケジュールを確認しますか」
無機質な声。姉さんなら「またサボってないでしょうね」って言うところだ。俺は携帯を閉じて、CRTモニターが並ぶ事務所の奥へ向かった。
在庫管理のモニターは三台とも旧式のブラウン管だ。画面の隅には「平成29年度システム Ver.8.12」の文字。でも右下にはデジタル円ウォレットのアイコンが点滅している。給料の振込通知だ。月末まであと五日。
「田中さん、ちょっといい?」
店長の声。振り返ると、彼女は困った顔でタブレットを持っていた。
「メタバース広場の契約更新、承認が下りないの。内閣ユニットから差し戻されてて」
うちの店は月一で、地域住民向けにメタバース広場を開放している。VR機材のレンタル代は安くないが、コミュニティ維持費として党ドクトリンが補助してくれるはずだった。
「署名アルゴリズムが通らないって。どうすればいいのかしら」
俺は携帯を開いた。
「0xC4、党ドクトリンの補助金署名、エラー原因を調べて」
「検索します。……第0x3A9内閣ユニットの署名鍵が期限切れです。再申請には72時間必要です」
店長が息を呑んだ。
「三日も? イベント、明後日なのに」
俺は段ボールの山を見た。その奥、冷蔵庫の裏には古い配線ボックスがある。姉さんが生きてた頃、こっそり教えてくれた裏技がある。党ドクトリンの署名は、末端で半ば公然と解読されている。必要なのは、ちょっとした知識と度胸だ。
「店長、俺がなんとかします」
「え?」
「ちょっと時間ください」
俺はCRTモニターの前に座り、キーボードを叩いた。画面にコマンドラインが現れる。デジタル円ウォレットのAPIを直接叩いて、署名鍵のバージョンを一つ古いものに偽装する。党ドクトリンの検証は甘い。こんな末端の補助金申請なんて、誰も細かく見ちゃいない。
エンターキーを押す。
「承認されました」
店長が小さく拍手した。
「ありがとう、田中さん。助かったわ」
俺は携帯を閉じた。画面には何も表示されなかった。代理エージェントは、俺が何をしたか気づいていないのか、それとも報告しないだけなのか。
バックヤードに戻ると、蛍光灯はまだ点滅していた。姉さんなら、きっと叱るだろう。「あんた、そんなことして捕まったらどうするの」って。でも姉さんはいない。いるのは0xC4だけだ。
段ボールを積み上げながら、俺はふと思った。三週間後、姉さんが戻ってきたら、この話をするべきだろうか。それとも黙っているべきか。
折りたたみ携帯が震えた。開くと、代理エージェントからのメッセージ。
「業務記録を更新しました。本日も良い一日を」
俺は苦笑した。姉さんなら、絶対にこんな言い方はしない。