ガレキのなかのA面
──平成0x29A年10月12日 06:40
金属とプラスチックが擦れる乾いた音で、俺は目を覚ました。いや、正確には覚ましていた。コンベアが、今日の最初の仕事を運んできた合図だ。
「おはよう、お兄ちゃん。今日の案件、ちょっと古いみたい」
網膜にポップアップした妹の美咲のウィンドウが、やわらかい明朝体でそう告げる。彼女の声はもう聞こえない。三年前に逝ってしまったから。でも、エージェントとしての彼女の思考は、いつも俺のそばにある。
コンベアのトレイに乗せられてきたのは、くたびれたカセットテーププレーヤーと、数枚の紙切れ。そして、それに紐付けられたデジタルツインの最終処理リクエストだ。
俺の仕事は、廃棄される人格データの最後の同期を取ること。持ち主の公的な記録とデジタルツインに矛盾がないか確認し、消去プロセスに引き渡す。ただそれだけ。ガレキの山に埋もれる前の、ほんの数分の儀式だ。
「所有者、ヤマダ・タケオ。死亡確認。デジタルツイン、同期開始」
音声でコマンドを飛ばすと、目の前に半透明のウィンドウが幾重にも展開する。バーチャル役所から取り寄せた彼の生涯データと、ツインの記憶ログが照合されていく。しかし、すぐにけたたましい警告音とともに、プロセスが停止した。
「不一致箇所、多数。購買履歴に欠損あり」
美咲のテキストが、警告ウィンドウの横に控えめに表示される。原因はすぐにわかった。トレイに乗っていた紙切れ。それは、インクが掠れたスーパーのポイントカードだった。スタンプがいくつか押されている。
「またこれか……」
ため息をつきながら、俺は物理スキャナに紙のカードを通す。この時代、なんでまだ紙のスタンプカードなんてものが流通しているんだか。党のドクトリンが推奨する「平成的文化様式」の歪みが、こんな末端の職場にまで流れ着く。
手動でデータを補完し、再同期をかける。しかし、エラーは消えない。
「お兄ちゃん、もう一つある。音源データ」と、美咲が知らせてくる。
カセットテープだ。再生ボタンはとうに壊れている。俺はコンソールのリーダーにテープを挿入し、磁気データを直接読み出した。
ノイズの向こうから、しわがれた男の歌声と、子供の笑い声が聞こえてきた。古ぼけた童謡。ヤマダ・タケオ氏が、孫に歌って聞かせているのだろう。
「これ、バーチャル役所の記録にない。党のプライバシー保護アルゴリズムが、未登録の生体音声を含むライフログを『汚染データ』として弾いてるんだと思う」
美咲の的確な分析。つまり、この歌声が、この老人のデジタルツインにとって最も大切な記憶のひとつでありながら、同時に、彼を完全に消し去ることを妨げているわけだ。
正規の手順なら、この案件は「処理不能」としてペンディングされ、データは半永久的にこの処分場を漂うことになる。忘れられることも、消えることも許されずに。
俺はしばらく、再生され続ける拙い歌声を聞いていた。
やがて、コンソールのキーをいくつか叩く。この歌のデータブロックを選択し、「付属参考資料(破損)」というラベルをつけ、ツインの本体から切り離した。そして、それを個人用のアーカイブ領域の、誰も見ないような深い階層にそっと移す。
本体から歌声が切り離されたデジタルツインは、今度こそスムーズにバーチャル役所の記録と同期を完了した。緑色の承認ランプが灯る。「消去プロセスへ転送」のボタンを押す。ヤマダ・タケオ氏のすべては、あと数分で完全に消滅するだろう。
「歌だけ、残ったね」
美咲のテキストが、静かに網膜に浮かんだ。
ああ、そうだな。俺はコンベアの向こう、朝焼けに染まり始めたガレキの山を見つめた。ここでは毎日、数え切れないほどの記憶が消えていく。だけど今日は、そのうちのたった一つ、テープのA面に録音されていた歌声だけが、誰にも知られずに生き残った。それだけで、少しだけ、このクソみたいな仕事も悪くないと思えた。