畝の向こう、平成の残響

──平成0x29A年03月27日 13:10

陽光が平成0x29A年の春の畑を均一に照らす。第15食料ブロックの露地栽培畑は、穏やかな風に揺れていた。私の作業着は、なぜか祖父が着ていたものと瓜二つで、生地が擦れるたびに土の匂いがする。

「健太、このままではいかんぞ。この土の湿り具合じゃ、午後の自動灌漑は要らん。水が多すぎると根腐れを起こす」

耳元で、祖父・吾郎の声が響く。私の記憶補助アプリから再生される、生前の彼の声だ。視界の端には、吾郎のホログラムが半透明に浮かんでいる。今日は3月27日、ミニトマトの定植から二週間。この時期の水分管理は特に重要だと、私もアプリのデータで把握している。

だが、昨日配信された「推奨栽培プロトコル03-27-beta」は、日中気温が20度を超える場合、例外なく午後1時15分からの自動灌漑を推奨していた。最新の党ドクトリンに基づくとされるこのアルゴリズムは、ここ数年、現地の気候や土壌状態を無視する傾向が顕著になっている。

「吾郎じいちゃん、プロトコルに従わないと、供給割当が減らされるだろ? 前回もそうだった」

「それがおかしいと言っておるんじゃ。わしが若い頃は、このカレンダーに鉛筆でな、その日の土の具合やら、風の強さやらを書き込んで、翌日の水やりの量を決めたもんじゃ」

吾郎の声に促され、休憩小屋の壁に貼り付けられた紙のカレンダーに目をやる。今日の欄には、私が昨日書き込んだ「プロトコル要確認」の文字。その上には、吾郎が残したと思しき、薄くなった筆跡で「晴れ、土乾き気味、水多め」とある。デジタル情報とは別の、生きた記録だ。

畑の隅にある、省電力マイクログリッドの制御パネルが緑色のLEDを点滅させている。すべては党ドクトリンによって最適化され、無駄なく動いているはずだ。しかし、この畑は、私の手は、何かが違うと訴えている。

吾郎はため息をつく。「今の奴らは、数字ばかり見て土を見ておらん。お前さんの記憶補助アプリも、わしの知識をただのデータとしか見ておらん」

アプリのUIは、平成初期のiモードを模したような簡素なデザインで、祖父の助言を「旧来知識データベース参照」として表示する。その隣には、無機質なAIエージェントによる「ドクトリン準拠を推奨します」という警告。

休憩小屋の入り口には、埃をかぶった公衆電話がポツンと立っている。誰も使わないのに、なぜか撤去されない。受話器の横には、古いテレホンカードが何枚か束ねてあった。昔はこれで遠くの市場と連絡を取ったと、吾郎はよく話していた。

私は、記憶補助アプリから吾郎のデータ履歴を呼び出す。彼が生前、この畑で記録した土壌データ、日照時間、収穫量、そして「手作業による水やり」の記録。それらは、現在のプロトコルとは明らかに矛盾していた。吾郎の経験則は、常にその時の畑の状態に寄り添っていたのだ。

「健太、お前さんの手で土を触ってみい。そこには、数字にはない情報がある」

私は膝を折り、柔らかい土に指を差し込んだ。確かに、表面は乾いていたが、少し掘るとひんやりとした湿り気を感じる。午後の灌漑は、やはり多すぎる。根腐れを起こす可能性が高い。

供給割当が減るかもしれない。だが、この土の感触と、祖父の声が、私の中で確かな手応えを残した。私は記憶補助アプリをオフにし、プロトコルを無視して、手動での灌漑停止を選んだ。少しばかりの反抗と、土を信じる心。それは、薄れゆく平成の残響の中で、私自身の確かな鼓動だった。