メダル洗浄機のノイズ、更新されない日付
──平成0x29A年10月19日 22:00
ジャララララ、という乾いた音が、閉店後の静まり返ったフロアに響く。俺は第4娯楽区にあるゲームセンター『アミューズメント・プレイス・ヒカリ』の片隅で、メダル洗浄機のフィルターを交換していた。
「達也、そこのホッパー、角度が悪いぞ。あと二ミリ右だ」
脳内の骨伝導インカムから、しわがれた声が飛ぶ。俺の専属エージェントであり、かつてこの店の店長だった祖父、剛造だ。
「じいちゃん、今の機種は自動補正なんだよ。叩いて直す時代じゃない」
「馬鹿野郎、機械ってのは持ち主の愛嬌で動くんだ。そんなことより、明日の『鉄拳』の大会、ポスターは貼ったか?」
俺は洗浄機から視線を外し、手元の端末を見る。平成0x29A年10月19日、22時00分。画面の端で、党の紋章がクルクルとロード中を示している。ここ数日、ローカル・キャッシュの更新パッチが詰まっているらしく、エージェントの記憶参照にラグが生じていた。
「大会は先週終わったよ。優勝者は隣のブロックの高校生だったろ」
「……そうだったか? まあいい、ワックス掛けを忘れるなよ」
祖父の声にノイズが混じる。俺はため息をひとつ吐き、作業着のポケットから近傍通信タグを取り出した。筐体の側面に貼り付けられた読み取り部にタグをかざす。ピ、と間の抜けた電子音がして、メンテナンスモードが起動した。
目の前の大型プッシャー機は、三十年前の『平成』中期のモデルを再現したリバイバル品だ。物理的なメダルを使うこの手の機械は、今の時代、贅沢な嗜好品に分類される。データのやり取りだけで済むデジタル・トークンとは違い、ここには質量がある。真鍮と手垢と、微かな鉄錆の匂い。
俺は詰まっていたメダルを指で掻き出した。ずっしりとした重みが掌に残る。この感覚だけは、どんな高解像度のVRでも再現しきれない。
「おい、三番レーンの投入口、またガムが詰められてるぞ」
祖父が警告する。俺は三番レーンを見た。綺麗なものだ。何も詰まっていない。
「じいちゃん、それ、五年前の話だろ」
「あ? ……そうか。目が霞んでいけねえな」
死人に目はねえよ、と言いかけて飲み込む。エージェント・システムの『記憶補助レイヤー』が、過去のトラブル履歴と現在の視覚情報を混同しているのだ。更新不備の影響は、思ったより深刻かもしれない。本来なら倫理検査局に報告してパッチを当ててもらうべき案件だが、そうすれば祖父の人格データは一時的に初期化され、この口うるさい小言もしばらく聞けなくなる。
俺は筐体のガラスを拭き上げ、バックヤードへ戻った。壁には「党」から配給された企業カレンダーが掛かっている。上質な紙で作られた、アナログな月めくりカレンダーだ。10月19日の欄には、俺の字で『点検』とだけ書き込まれている。その横に、祖父の生前の筆跡で『特売日』と書かれた付箋が貼ったままになっていた。もう色あせて、糊が剥がれかけている。
「今日は19日だ。特売日じゃない」
俺は独り言のように呟き、勤怠管理端末に指を置いた。緑色の光が指紋の溝を走る。生体認証が完了し、本日の業務終了が党のサーバへ送信された。
「達也、明日は早番だぞ。遅れるなよ」
祖父がまた、的外れなことを言う。明日は公休だ。シフト表はカレンダーの真横にあるのに、祖父の認識野にはそれが映っていないらしい。
「ああ、分かってるよ。おやすみ」
俺は訂正しなかった。どうせ明日になれば、サーバの混雑が解消されて、祖父の時間は現在に追いつくだろう。あるいは、このまま少しずつ過去へ溶けていくのかもしれない。
剥がれかけた付箋を指で押さえ直し、俺は事務所の明かりを消した。暗闇の中で、洗浄を終えたメダルたちが、冷たく光っている気がした。