乾電池プール、早朝のハイスコア
──平成0x29A年10月07日 05:10
午前五時を過ぎると、ゲートの公共ARサインが青から緑に切り替わる。「第11娯楽区ボウリングセンター・ラウンドワン丸の内」の文字が、まだ薄暗い入口の空気にじわっと滲んだ。
おれはシャッターの鍵を回しながら、腰のポケベルが震えるのを待った。
震えた。
「おはようございます、従業員コード7744、開場準備開始を確認しました」
ポケベルの液晶に流れるカタカナは、この施設の業務連絡用だ。返信は「*1」で了解。ボタンを押す。物理キーの感触が心地いい。
入ってすぐの受付カウンターの裏に、段ボール箱が三つ積んである。中身は単三乾電池。全部で何百本あるのか数えたくもない。スコア表示盤の電子ペーパーパネルが先月から順番に死んでいて、応急処置としてバックライト用の乾電池を手差しで入れている。根本的な修理リクエストは出してあるが、内閣ユニットの承認待ちが四十七日目だ。
「——修理申請が四十七日も止まるの、普通じゃないよ」
左耳のイヤーカフから、おふくろの声。正確には、三年前に食道がんで死んだ母・村瀬靖子のエージェント。生前と同じ、少し鼻にかかった声で、生前と同じように余計なことを言う。
「普通だよ。娯楽施設の設備更新なんて優先度最低だろ」
「あんた店長代理でしょ。裏から回せないの」
「回す裏がない」
嘘だ。ある。おれは知っている。
乾電池の山を崩しながら、十二番レーンの表示盤を開ける。蓋のネジが一本なめていて、マイナスドライバーを斜めに当てて力ずくで回す。中のアルカリ電池四本を交換。液晶が一瞬キラキラしてから「LANE 12 HIGH SCORE:298」と映った。
298。おかしい。ボウリングの最高スコアは300だ。
いや——この店では298が上限になっている。
三年前、常連のじいさんたちが勝手に決めた非公式ルール。パーフェクトを出すと「場が白ける」から、十フレームの三投目は必ずガターにする。それが暗黙の了解になり、いつしかスコアシステムの上限値まで298に書き換えられた。
おれは別に構わないと思っていた。
だが今朝、ホログラム掲示板に新しい通知が浮いていた。第11娯楽区の定期レビューで「スコア上限の改変」がドクトリン違反の疑いありとフラグが立っている。フラグを立てた内閣ユニットの番号は0xE3A01。署名のプレフィクスが——半分崩れている。誰かがアルゴリズムの解読済みブロックを使って、わざとフラグを立てたのだ。
「靖子さん、これ誰が突いたと思う」
「知らないわよ。でもね」
母の声が少しだけ柔らかくなる。
「298って、お父さんのベストスコアじゃなかった?」
手が止まった。
親父。村瀬鉄男。ボウリングが下手で、人生で一度だけ出した最高が298だった。パーフェクトを逃したんじゃなく、十フレ三投目で隣のレーンの子どもに手を振って、ガターにした。
あの話を知っているのは——おふくろだけだ。
「……あんたがフラグ立てたのか」
沈黙。
「倫理検査、来月でしょ。その前にちょっと遊んでみたかっただけ」
段ボールの底から新しい電池を四本取り出す。十一番レーンの蓋も開ける。「HIGH SCORE:298」。
おれはそのまま蓋を閉じた。直さない。
公共ARサインが緑から白に変わり、営業開始の時刻を示す。ポケベルがまた震えた。液晶に「*0 アケマシテ オメデトウ」と流れる。十月だ。誰かが季節を間違えている。
乾電池の山だけが、確かにそこにある。