ビニールハウスとコピー機の朝ごはん

──平成0x29A年02月12日 09:20

平成0x29A年02月12日 09:20、ビニールハウスの湿った空気は昨日の味噌の残り香と混ざっていた。
私は支柱を撫でながら、耳内の小さな声に返事をした。「節子さん、霜注意の通知来てる?」
亡き祖母・節子の人格エージェントが、いつもの口調で気象の切り口を教えてくれる。彼女は明後日に倫理検査が入ると言っていたが、今日は代理のまま作業を手伝ってくれている。
飼い慣らしたMDプレイヤーが古いジャズを流し、私のガラケーはストリーミングのバナーをちらつかせる。平成エミュのプレイリストと、iモード風の小さな広告がARで葉の影に貼りつく。世の中はいつも通り混線している。
昼前に外へ出ると、駐輪場の支柱に結ばれた紙札が目を引いた。薄い感熱紙に印刷されたのは、見慣れないハッシュ列と「第0x402ユニット」らしき文字列。指で撫でると、祖母が小さく笑った。「それ、内閣ユニットの一片ね。拾って来なさい――危なくもあるけど、面白いわ」
リモート診療端末がじり、と受付室の角で起動する。午前の診察は遠隔医が二十局並行で回す時間帯だ。私は腰の違和感を見せかけて、端末の画面に紙札をかざした。端末は即座に党ドクトリン署名の要求を出す。スクロールする署名欄の一部と、紙札の断片が合致するのを見て、笑いが喉に詰まった。
昼休み、共同体のコンビニへ行く。コピー機のトレイに紙札を滑らせ、記憶補助アプリを起動する。アプリは私の古い写真や播種ログを引っ張り、スライド式のUIで欠けたハッシュを埋めようとする。コピー機は古い機種で、支払い認証がガラケーのiモード風ポップアップを呼び出す。隣の棚にはインスタント味噌、AR広告が「農家向け特売」と踊る。
アプリが断片を繋げると、画面に警告が出た。「署名アルゴリズム露出:非推奨。自己責任で使用可」――公開済みの断片が、組み合わされて閣議用の最小署名を再現している。私の指が震えた。これが本物なら、内閣ユニットの小さな承認を取れる。肥料の追加割当、ポンプの電力割り当て、あるいは……。
祖母が耳元で囁く。「あなた、何に使うの。分捕るか、誰かに配るか」
私はコピー機の出力を抱えて外に出た。心臓は速いが、皮肉がわらわらと笑った。システムはもう完全な封印ではない。人々は駐輪場の紙札やリモート診療の同意書、コンビニのコピー機で断片を拾い集め、小さな利益を攫っている。
夕方、私はアルゴリズムの断片で「ビニールハウス労働者向け朝食配給」を申請した。理由は正当だ。申請は通ったが、届いたのは無数の即席味噌汁パックだった。肥料の割り当てはつかなかった。
祖母が肩を叩く。「まあ、味は悪くない。苦いけど」
私は湯を注ぎ、プラスチックの蓋を開ける。アルゴリズムは時々、期待と違う形で味付けを返す。苦味の中に笑いが混ざり、今日の仕事は終わった気がした。