窓口17番、補助データは更新されない
──平成0x29A年04月21日 18:40
俺は今日も第8市民サービスブロックの窓口17番に座っている。
「すみません、記憶補助の更新申請なんですけど」
四十代くらいの男が、ガラケーを持って立っている。画面には位置情報ビーコンの履歴が表示されているが、三ヶ月前で止まっている。
「こちらでお調べしますので、少々お待ちください」
俺は端末を叩く。男の記録が出てくる。センサーダストによる生活パターン解析データも紐付いている。だが、更新は確かに三ヶ月前で止まっている。
「システム側のエラーですね。再同期をかけます」
「助かります。最近、道を覚えられなくて」
男は困ったように笑う。
再同期リクエストを投げる。すると、エージェントの声が頭に響く。
『拓也、ちょっと待って』
俺の兄貴、健一のエージェントだ。享年三十四、工場事故で死んだ。
『この案件、党ドクトリンに引っかかってる』
「は?」
『記憶補助の更新には、閣議決定が必要な差分が含まれてる。位置情報ビーコンの履歴が、党ドクトリンが定める「適切な移動パターン」から逸脱してるんだ』
俺は画面を見る。確かに、男の移動履歴には夜間の不規則な外出が記録されている。
「でも、それって個人の自由じゃないですか」
『ドクトリンはそう判断しない。この更新を通すには、閣議決定が必要だ』
俺はため息をつく。閣議決定なんて、どうせランダムで選ばれた誰かが五分だけ総理をやって、アルゴリズムに従って判を押すだけだ。
「じゃあ、申請を出してください」
男にそう言うと、男は困惑した顔をする。
「それ、時間かかりますか?」
「平均で二週間ですね」
「二週間……」
男は肩を落とす。
『拓也、コンビニのコピー機使えば、手書きの申請書も受理できるぞ。それなら三日で済む』
「本当ですか?」
『ああ。ただし、手書きだと党ドクトリンの監視が緩くなる。形式さえ整ってれば、中身はスルーされる』
俺は男に説明する。
「あの、コンビニのコピー機で手書きの申請書を作れば、三日で済みます」
「え、そんな方法が?」
「はい。ただし、記入ミスがあると受理されませんので、慎重にお願いします」
男は安堵した顔で頷く。
「ありがとうございます。助かります」
男は窓口を離れていく。
俺は画面を眺める。党ドクトリンのアルゴリズムは、もう誰も信じていない。でも、誰もそれを変えようとしない。
『拓也、お前も疲れてるな』
「そうですね」
『たまには休めよ』
「休んでも、やることは変わりませんから」
俺はガラケーを取り出す。画面には、自分の位置情報ビーコンの履歴が表示されている。家と職場を往復するだけの単調な線だ。
『拓也、お前の記憶補助も、そろそろ更新した方がいいんじゃないか?』
「俺のは、更新する必要ないですよ」
『そうか?』
「ええ。毎日同じ場所にいますから」
俺は画面を閉じる。
次の客が窓口に来る。また同じような手続きが始まる。
俺は、自分の記憶補助が更新されなくなる日を、少しだけ楽しみにしている。