午前四時半の応募券

──平成0x29A年03月29日 04:30

午前四時半。部屋の空気はよどみ、シンクに積まれたインスタントラーメンの容器が、微かな化学調味料の匂いを放っている。

俺の視界には、時間貸しCPUの処理状況を示す空中ディスプレイだけが青白く浮かんでいた。進捗バーは、まるで凍りついたように動かない。

『拓海。またそんなものばかり食べて。体に悪いよ』

頭の中に、ばあちゃんの声が響く。俺のパーソナル・エージェント、岡部佳代子。二年前に大往生した、俺の母方の祖母だ。

「うるさいな。集中してるんだ」

『たかがゴミ当番のことで、夜更かしまでして。そんなに計算資源を借りて、足が出るんじゃないのかい』

たかがゴミ当番。ばあちゃんの言う通りだ。だが、この集合住宅の自治会ルールは、何世代も前の「平成」とかいう時代から更新されていないらしい。紙の回覧板と「隣組」を前提にした、化石みたいな慣習。

住民の流動が激しい今、そのシステムはとっくに破綻している。当番の重複、抜け落ち、押し付け合い。小さな歪みは、確実に生活を蝕んでいた。

だから俺は、このクソみたいな慣習を最適化するパッチを、勝手に作っている。住民台帳の分散型ネットワークと同期させ、誰にも文句を言わせない公平なローテーションを組むための。そのシミュレーションが、手持ちの計算資源じゃまるで足りなかった。

ディスプレイの傍らには、ホコリをかぶった灰色の箱が鎮座している。スーファミ。昔、ばあちゃんが俺に遊び方を教えてくれたゲーム機だ。

ふと、デスクの隅にあるラーメンのカップが目に入った。蓋の裏に印刷された応募券。「抽選で当たる! 第0x*****内閣ユニットのCPUリソース優先利用権(5分間)」。

馬鹿馬鹿しい。宝くじみたいなもんだ。党ドクトリンのアルゴリズムが気まぐれにばらまく、ただの景品。

だが、CPUのレンタル終了を告げるアラートが点滅を始めた。追加料金を払う余裕はない。

「……ちくしょう」

俺は舌打ちしながら、応募券のコードをコンソールに打ち込んだ。どうせ、気休めだ。

送信ボタンを押した、次の瞬間。

【認証成功:第0x5C2A1内閣ユニットへの優先アクセス権を承認します。有効期間:300秒】

嘘だろ。

画面上の進捗バーが、爆発的な勢いで右へと突き進んでいく。これまで何時間もかかったシミュレーションが、数秒で終わっていく。膨大な計算資源が、俺のちっぽけなコンソールに流れ込んでくる感覚。

あっという間に処理は完了し、最適化された当番表がディスプレイに生成された。完璧な、アルゴリズムに基づいた公平なローテーション。

「……終わった」

安堵のため息をついた俺に、ばあちゃんが静かに言った。

『拓海』

「なんだよ」

『あんた、隣の部屋の…ほら、朝早くから配送の仕事に出てる子。あの子がいつも当番で困ってるの、見てたんだろ?』

ディスプレイに映る結果を、俺は黙って見つめていた。確かに、最適化された結果、特定の人物――早朝勤務が多い彼女――への負担が、統計的に有意に軽減されていた。

俺は何も答えなかった。答えられなかった。

「……ばあちゃんには、敵わないな」

やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど静かだった。

俺はそっと手を伸ばし、スーファミのコントローラーを撫でた。プラスチックの冷たい感触が、指先に遠い記憶を呼び覚ます。面倒なことの先にある、ほんの少しの温かさを、俺はまだ忘れられずにいるらしい。