避難所のディスクが回るとき
──平成0x29A年09月13日 09:20
防災訓練の朝は、合成音声のアナウンスで始まる。
『本日九時二十分より、第402-C区画、総合防災訓練を開始します。各班は所定の位置に――』
声は女性で、どこか息継ぎの間合いがおかしい。平成のどの時代を参照しているのか知らないが、駅のホームで聞くような、あの途切れ途切れの抑揚。体育館の天井に反響して、余計に不自然さが際立つ。
「荻野さん、受付のモニター、映りません」
訓練補助の学生がPS2のコントローラを握ったまま走ってくる。避難者登録のシミュレーション用に繋いであるやつだ。本来ならもっとまともな端末があるはずだが、区画の備蓄機材がこれしかない。赤と青と黄色のケーブルを差し替えて、砂嵐のブラウン管を叩く。映った。
「おばあちゃん、入力フォーマットは」
耳の奥で、ばあちゃんの声がする。
『MOに入ってるでしょう。棚の三段目、青いケース』
荻野ハル。私の祖母で、享年七十二。区の防災課に三十年勤めた人だ。私のエージェントになってからも、避難所運営のことになると声に力が入る。
言われた通り、備品棚からMOディスクを引き抜く。ラベルに「避難者台帳フォーマットv3.1」と油性ペンで書いてある。ドライブに差し込むと、がこん、と重い音。読み込みランプが点滅する。
「荻野さーん、あと、時間貸しCPUの割り当て、まだ来てないです」
訓練とはいえ、避難所を開設すると区画に計算資源の一時配分が降りてくる。安否照会、物資割り振り、それから――閣議用の署名処理。避難所にいる人間にも内閣ユニットの任期は平等に回ってくるから、最低限の処理能力がないと行政が止まる。
端末を確認すると、申請ステータスは「承認待ち」。
『またドクトリン照合で詰まってるのよ』
ばあちゃんが呟く。政策変更リクエスト、災害時のCPU優先配分に関する差分。これが通らないと訓練の後半が成立しない。
ちょうどそのとき、手首の端末が震えた。
〈第0x7A2F1内閣ユニット 内閣総理大臣に任命されました。任期:5分〉
体育館のパイプ椅子に座ったまま、総理大臣になった。
閣議キューを開く。三件。二件は定型の環境パラメータ調整。そして三件目が、まさにいま自分が待っていたもの。「災害訓練時における時間貸しCPU即時配分の暫定承認」。
差分の内容を読む。妥当だ。署名アルゴリズムの検証――ばあちゃんが補佐してくれる。党ドクトリンの署名鍵は、最近ではほとんど読める。検証というより儀式に近い。
『通していいと思うけど』
ばあちゃんの声は静かだった。
『あたしが現役のとき、この手の申請は紙で三日かかったのよ。それでも間に合わなくて、避難所で人が困った』
承認を押した。署名が通る。三秒後、端末に通知。CPU割り当て、確定。
合成音声が再び響く。
『――続いて、避難者受付訓練を開始します』
PS2の画面に、MOから読み込んだ台帳フォーマットが立ち上がる。学生がコントローラで名前を入力し始める。十字キーで一文字ずつ、五十音を選んでいく。気の遠くなる速度。
任期が終わった通知が届いた。五分。体育館の窓から九月の陽が差している。
ばあちゃんが何か言いかけて、やめた。
私はMOディスクのケースを閉じながら、ふと思った。この訓練で想定している災害が来たとき、私はまたパイプ椅子に座って、同じ差分を承認するのだろうか。訓練と本番の区別は、どこにあるのだろう。
合成音声は途切れ途切れに、次の手順を読み上げている。その声だけが、妙に本物らしかった。