鳥居の先、非同期の柏手
──平成0x29A年12月19日 16:20
午後四時二十分。冬至間近の早すぎる夕闇が、第三管区の鎮守の森に垂れ込めていた。
私はeペーパー製の電子祝詞板を懐にしまい、拝殿のサーバーラック――外見は賽銭箱そのものだが――のステータスランプを確認した。緑色の点滅。正常だ。しかし、視界の端にポップアップしている党ドクトリン準拠確認ウィジェットには、警告色の黄色いアイコンが灯り続けている。
『また署名のハッシュがズレてやがるな』
耳の奥で、先代宮司だった父の声がした。私のエージェントだ。
「今朝のアップデートですね。内閣ユニットからの配布パッチが、神道の形式定義ファイルと競合してるんです。二礼二拍手の『二拍手』の検出閾値が、なぜかミリ秒単位で厳格化されていて」
私は砂利を踏みしめ、社務所へ向かった。袴の裾が擦れる音と、遠くの道路を走るEVの走行音が混ざり合う。
社務所の中は、線香の香りと、排熱ファンの乾いた匂いが充満している。私は祭壇の横に置かれたアイボリー色のタワー型PCに向かい合った。CRTモニターが青白く発光している。画面上の時計は16:22へと進んだ。
『遺伝子ネットワークからの定期通知が来てるぞ。さっさと焼いとけ』
「分かってます」
画面には「皇室遺伝子伝播状況_定期レポート.txt」の着信通知。この国を薄く覆う遺伝子ネットワークの正常性確認信号だ。党の指導により、このデータは物理的に固定化して奉納しなければならない。
私はスピンドルケースからCD-Rを一枚取り出した。レーベル面には手書き用の罫線が引かれている。トレイを開き、ディスクをセットする。書き込みソフトを起動し、「焼く」ボタンをクリックした。
ウィーン、ジジジジ。
静謐な境内に、光学ドライブが高速回転する駆動音が響き渡る。このノイズこそが、現代における祈りのごときものだ。データが色素を変化させ、盤面に不可逆の記録を刻み込んでいく。
書き込みが終わるのを待つ間、私はカウンターの上のeペーパー端末を手に取った。業務日誌が表示されている画面の隅に、先ほど撮影したフィルムカメラの現像待ちリストが表示されている。
「さっきの参拝客、七五三の遅れ組でしたね」
『ああ。フィルムで撮れってうるさい客だったな。あの場の空気、ちゃんと銀塩粒子に定着できたかね』
私は手元の使い捨てフィルムカメラを撫でた。eペーパーには「撮影完了」のメタデータだけが即座に同期されているが、肝心の「像」はこのプラスチックの箱の中に封じ込められている。現像所に送るまで、誰もその真偽を確かめられない。ドクトリンの署名エラーも同じだ。計算上の整合性が取れなくとも、儀式は行われ、世界は回る。
ポン、とトレイが開き、温まったCD-Rが吐き出された。
私はマジックペンで「平成0x29A年12月19日 奉納データ」と書き込み、それを三方の上の皿に載せた。
「署名エラー、放置しますよ。承認アルゴリズムが追いつくまで、このまま祈るしかない」
『それでいい。神様ってのは、いつだって非同期処理なんだよ』
私はCD-Rを神前に捧げ、深く頭を下げた。柏手を打つ。パン、パン。乾いた音が響く。警告アイコンは消えなかったが、夕暮れの冷たい空気だけが、確かにそこにあった。