メダルの重さで照合する

──平成0x29A年04月05日 16:10

平成0x29A年04月05日、16:10。

検問ブースの蛍光灯は、いつも午後の色を奪う。駅前の歩道に仮設された透明パネルの内側で、私は「巡回認証員」の腕章を直し、共有型バッテリーの残量を確かめた。青いロゴの箱を端末に差し込むと、他人の手汗の匂いがする。返却口の奥でカチン、とロックが鳴った。

「……またバッテリー交換かよ」
耳元の骨伝導が、ため息混じりに言う。

父のエージェントだ。享年五十九。私がまだ高校の頃、同じ仕事で倒れた。
今日は父が倫理検査で止まっていて、代替エージェントが割り込んでいる。声は父に似ているのに、語尾が妙に軽い。

『代理-オオタ』です、って自己紹介、まだ慣れないな。

改札の向こうから、監視ドローンの羽音と、ゲームセンターの電子音が混線して届く。ここは治安ブロックの境目で、隣は「平成タウン」のアーケード街だ。看板はネオン、決済はサブスク、連絡は折りたたみ式のガラケー風端末で、通知だけが網膜に浮く。

次の通行者が差し出したのは、紙の申請票だった。
「端末、調子悪くて。ハンコでいけます?」

若い男が、シャチハタをポケットから出す。朱肉の蓋を開ける小さな音。私は頷き、検問台の下から古い押印マットを引っ張り出した。

『押印は非推奨です。監査ログが——』
代替エージェントが口を挟む。

「推奨とかじゃなくて、通れないと困るの」
私は声を低くした。ここは「通す」場所でもある。

ハンコの丸が紙に沈む。赤が乾く間に、私は端末の側面スロットへ小さなカートリッジを差した。分散ストレージ用のシードだ。個人の履歴は一枚岩じゃなく、欠けた断片があちこちのノードに散っている。検問ではその欠片を寄せ集め、照合して、通す。

端末が短く震えた。

【照合失敗:エージェント倫理検査フラグと申請署名の整合性不一致】

「あ、これ」
男は眉をひそめ、紙を指で叩いた。
「昨日、うちのばあちゃんのエージェントが検査に入ってさ。代替になってから、サインが通らないんだよね」

私は、笑っていいのか分からない顔を作った。代替エージェントは「同等」だと説明される。けれど現場はいつも、同等じゃない。

『代理の署名鍵が古いドクトリンに弾かれている可能性』
代替-オオタが、急に真面目な声を出した。
『党署名の検証器、もうみんな半分解けてるからな』

その言い方が、父の癖に似ていて胸が痛んだ。父の倫理検査の間だけ、父は父じゃない。

「じゃあ、どうする?」

私は検問台の引き出しから、白い小箱を取り出した。中には、ゲームセンターのメダルが十数枚。拾得物の保管だ。昔は景品交換の代替通貨、今は時々、こういう時に使える。

男が怪訝そうに見る。

「重さの照合」
私は言って、メダルを一枚、端末の上の小さな受け皿に置いた。薄い金属の冷たさ。

端末には、表に出せない裏機能がある。分散ストレージの断片が揃わない時、物理情報——重さ、摩耗、磁気——を補助キーにして、欠けた署名を“それっぽく”埋める。

『そんなの、規程違反だろ』
代替-オオタが笑う。
『でも現場は現場、か』

メダルがカチ、と微かに鳴った。端末の表示が変わる。

【暫定承認:通行許可(監査保留)】

男の肩が落ち、息が漏れた。
「助かった。ほんと、ありがとう」

私は紙に乾いたハンコ跡を見て、頷いただけで返した。通行者の背中がアーケードへ消えていく。ネオンの下、メダルの落ちる音がどこかで響いた。

共有型バッテリーの残量が、また一段減っていた。私は次の人のために交換しようとして、指が止まる。

倫理検査中の父のエージェントから、通知が一件。

【検査結果:継続運用可。軽微な改変あり】

軽微、という言葉は便利だ。戻ってくる父は、ほんの少しだけ違う。けれど私は、戻ってこないよりはいいと思ってしまう。

その瞬間、耳元の声が変わった。

「……茜、手が冷えてる。バッテリー、次は新しいのにしなさい」

父だ。

私は思わず、検問台の下でメダルを握りしめた。さっきの補助キーに使った一枚。摩耗した縁が、指に引っかかる。

父の声は確かに父のままだった。でも、続けてこう言った。

「それと、ハンコは右じゃなくて左端。押す位置、昔からずれてる」

私は笑いそうになって、喉の奥が詰まった。
父は生きている時、私の書類の押印位置なんて気にしたことがない。

検問ブースの外では、平成みたいな音楽がAR広告に混ざって流れている。私はメダルを元の箱に戻し、押印マットの端を指で整えた。

受け継がれたのは、命じゃなくて、注意の癖だった。
それでも、今日の私はそれで通行許可を出し続ける。