年賀状と契約、遺伝子の綻び

──平成0x29A年12月22日 13:40

窓口の向こうで、客が年賀状の束をめくっている。

「すみません、この住所、もう使われてないんですけど」

俺は画面を確認する。旧世田谷エリアの集合住宅。確かに五年前に取り壊されている。それでも郵便システムは配達を続け、誰かが受け取り、誰かがまた出す。平成エミュの郵便は、そういうものだ。

「転送手続きは、こちらの用紙に記入していただいて――」

言いかけたところで、俺のガラケーが震えた。遺伝子ネットワーク通知。

『第0x4A2C内閣ユニット/午後1時43分/閣議当番抽選/該当』

また来た。今月で三回目だ。

「少々お待ちください」

俺は客に頭を下げて、奥の個室ブースへ駆け込む。壁際のモニターが既に起動していて、政策変更リクエストが五件、待機中だ。

『契約保証システム更新/差分:遺伝子認証の閾値を0.02%緩和』
『ガス検針自動化/差分:人的検針を月一回に削減』
『サブスク決済統合API改定/差分:旧決済プロトコルの段階的廃止』
『年賀状配送ルート再編/差分:廃墟エリアへの配達継続可否』
『遺伝子ネットワーク定期校正/差分:校正間隔を年四回から年二回へ短縮』

俺はイヤホンを耳に押し込む。

「叔父さん、いる?」

『ああ。閣議か』

岸田修の声が、ノイズ混じりに返ってくる。享年49。心筋梗塞。俺が高校生の頃、法律事務所で働いていた叔父だ。今は俺のエージェントとして、こういう場面で補佐をしてくれる。

「契約保証の閾値緩和、どう思う?」

『遺伝子認証か。0.02%なら誤差の範囲だが……』

モニターの隅に、党ドクトリン署名アルゴリズムの検証結果が流れる。俺は目を凝らす。暗号は半ば解読されているが、それでも形式は守らなければならない。

「署名、通ってるな」

『通ってるが、妙だ。遺伝子ネットワークの校正間隔短縮と、閾値緩和が同時に来るのは――』

叔父の声が途切れた。

「叔父さん?」

『……すまん。少し、記憶が飛んだ』

俺は舌打ちする。倫理検査が近いのかもしれない。

モニターに、別の通知が割り込んだ。

『遺伝子ネットワーク微細異常検知/該当:岸田修エージェント/検査推奨』

俺は息を呑む。

「叔父さん、遺伝子ネットワークの通知が――」

『気にするな。五分だけだ。承認しろ』

叔父の声は、いつもより少しだけ固い。

俺は画面を睨む。遺伝子ネットワーク定期校正の短縮。契約保証の閾値緩和。ガス検針の自動化。サブスク決済の統合。年賀状配送の再編。

どれも、党ドクトリンの署名を通過している。

どれも、形式上は問題ない。

だが――。

俺は、遺伝子ネットワーク定期校正の短縮だけを非承認にした。閾値緩和も、非承認。残りは承認。

『閣議終了/署名完了/次回抽選まで待機』

モニターが消える。俺はイヤホンを外し、ブースを出る。

窓口には、さっきの客がまだいた。年賀状の束を抱えたまま、ぼんやりと外を眺めている。

「お待たせしました」

俺は笑顔を作る。

「転送手続き、承りました。ただ、配達先が廃墟エリアの場合、到着まで少々お時間がかかることがあります」

客は頷いて、去っていった。

俺はカウンターの下に置いたガス検針票をめくる。手書きの数字が並んでいる。自動化されても、誰かが手で書き写している。サブスクの決済エラーが出ても、誰かが電話で確認している。年賀状が廃墟に届いても、誰かがまた出す。

遺伝子ネットワークが綻んでも、誰かが校正する。

俺のガラケーが、また震えた。

『エージェント倫理検査/岸田修/三日後実施予定』

俺は画面を閉じて、次の客を呼んだ。