回覧板の重さ、CRTの微光

──平成0x29A年08月17日 12:50

俺が公園の管理事務所に着いたのは昼過ぎだった。旧町田エリアの芹ヶ谷公園、今日も子供の声がする。スマートドアが俺の顔を認識して開く。中に入ると、受付カウンターの奥に例のCRTモニターが鎮座している。

「おかえり、孝太」
祖父のエージェントが声をかけてくる。享年68、脳梗塞で逝った。生前は町内会長を長く務めた人で、今も俺の仕事を手伝ってくれている。

「ただいま。なんかあった?」
「ああ、学校の連絡網が復活するらしい」
「は?」

祖父が指し示したのは、カウンターに置かれた一枚の紙だった。『平成0x29A年度 公園利用団体連絡網 運用開始について』。見ると、近隣の小学校三校と保育園二園、それに町内会の代表者名がずらりと手書きで並んでいる。電話番号の横には、手書きの訂正線と新しい番号。

「デジタル連絡網が不調続きでね。党ドクトリンの署名エラーが頻発するんだそうだ。で、アナログ回帰だって」
「マジかよ」

俺は紙を手に取った。ガリ版刷りみたいな青インクの匂いがする。でも、よく見ると右下に二次元コードもある。平成エミュの混線だ。

「これ、回覧するの?」
「そう。君が各団体を回って、署名をもらってくる。昔ながらのやり方だ」
「面倒くせえ……」

そう言いながらも、俺は紙をクリアファイルに挟んだ。祖父は少し嬉しそうだった。

「孝太、これはいいことだよ。顔を合わせて話すのが一番だ」
「そういうもんかね」

事務所を出ると、公園の向こうから合成音声アナウンスが流れてきた。『本日の遊具点検は午後三時より実施いたします。ご協力をお願いします』。抑揚のない声が木々に反響する。

最初に向かったのは、公園の南側にある小学校だった。校門のスマートドアが開き、職員室に通される。教頭が連絡網を見て、ペンを取り出した。

「ああ、これね。うちも賛成ですよ。最近、緊急連絡がちゃんと届かなくて」

彼女は丁寧に署名し、日付を書き込んだ。その筆圧が紙に残る。

次は保育園。園長が連絡網を受け取り、眼鏡の奥の目を細めた。

「懐かしいわね、こういうの。昔は全部これだったのよ」
「そうなんですか」
「ええ。でも、ちゃんと機能するかしら」
「やってみないとわかりませんけど」

園長も署名してくれた。紙が少しずつ重くなっていく気がした。

最後は町内会長の家。玄関のスマートドアが開くと、70過ぎの男性が出てきた。

「ああ、これか。いいね、こういうの。顔が見えるから」

彼は万年筆で署名した。インクが乾くのを待つ間、俺たちは無言で立っていた。公園の木々が風に揺れる音がした。

事務所に戻ると、祖父が待っていた。CRTモニターの画面が微かに明滅している。

「全部集まったか」
「ああ」

俺は連絡網を祖父に渡した。彼はそれを丁寧に眺めた。

「孝太、これでいいんだよ。システムが壊れても、人と人は繋がれる」

CRTの光が祖父の顔を照らしていた。その表情は穏やかで、少しだけ誇らしげだった。

外では、合成音声アナウンスがまた流れていた。『遊具点検が完了しました。ご利用ありがとうございます』。

俺は連絡網をファイルに綴じた。紙の重さが、妙に心地よかった。