朝九時のリクエスト、回転する光磁気

──平成0x29A年04月22日 09:00

 朝九時の公園に、下品な笑い声が響き渡っている。
 第8公苑のスピーカーが吐き出しているのは、数百年前に録音された深夜ラジオのアーカイブだ。本来なら「小鳥のさえずり(ハイレゾ)」や「木漏れ日のアンビエント」が流れるはずの時間帯である。どうやら管理用のエッジAI端末が、昨晩の「平成エミュレーション・ナイトモード」から復帰できずにバグを起こしているらしい。
「おい健太、早く止めろ。パーソナリティが下ネタに入りそうだぞ」
 脳内で父さんの声がする。父さんは五年前に肝臓をやって死んだ。元音響屋で、今は私の視覚情報を共有するエージェントとして、相変わらず口うるさく指示を飛ばしてくる。
「わかってるよ。でも、認証が通らないんだ」
 私は公苑管理塔の操作パネルを開け、焦りながら物理キーを探った。この世界のセキュリティは無駄に堅牢で、かつての物理メディアを「鍵」として要求する。私はツールポーチから、四角いプラスチックのカートリッジを取り出した。MOディスクだ。230MBの容量を持つこの光磁気ディスクに、管理者権限の暗号鍵が入っている。
 ドライブにMOを差し込む。カシャ、と乾いた音がして、ウィーン、ジジジ……と懐かしいシーク音が鳴り始めた。
『……えー、続いてのハガキは、ラジオネーム“ミッドナイト大工”さんから……』
 スピーカーからの声が、公園のベンチで将棋を指そうとしていた老人たちを困惑させている。ベンチからは「ピピッ、サブスクリプション期限切れです。座面を硬化します」という無慈悲な合成音声も重なり、カオスな様相を呈していた。老人たちは月額980党円の「快適座り心地プラン」の更新を忘れているらしい。
「おい、読み込み遅くないか?」
「古い規格だからね。物理的にレーザーで焼いて磁気で読んでるんだから、時間はかかるよ」
 エッジAI端末の画面には砂時計が表示され、プログレスバーは遅々として進まない。その間も、ラジオの軽快なトークは続く。
『“最近、気になっている女の子がいます。でも彼女、音響マニアで、僕の安物のステレオを馬鹿にするんです”……ハハハ、だっせえ!』
「……ん?」
 脳内の父さんが、妙な反応を示した。黙り込んだかと思うと、視界の端に表示される父さんのステータスアイコンが、赤く点滅している。
『“でも、今度思い切って、給料三ヶ月分のスピーカーを買って告白しようと思います。曲は山下達郎で決まりです”……いやあ、ミッドナイト大工さん、青春だねえ!』
 MOドライブがようやくデータを読み込み、管理画面がポップアップした。私は急いで「BGM強制停止」のコマンドを入力しようとしたが、指が止まった。
「おい、健太。待て」
「え? 早く止めないと苦情が来るって」
「あと三十秒。三十秒だけ待て」
 父さんの声が震えている。私は怪訝に思いながらも、指を浮かせた。深夜ラジオのDJは、茶化しながらもその投稿者を応援し、リクエスト曲紹介へと移っていく。
『成功するといいな、ミッドナイト大工! それでは一曲、リクエストにお応えして……』
 曲のイントロが流れる前に、私はエンターキーを叩いた。ブツン、という音と共にラジオは途切れ、静寂が戻る。すぐにデフォルトの「小鳥のさえずり」が流れ始めた。
 ベンチの老人たちも、ようやく決済が完了したらしく、座面のロックが解除されて安堵のため息をついている。
「……危なかった。で、なんで止めたんだ?」
 作業を終えてMOディスクを取り出しながら尋ねると、父さんはしばらく沈黙してから、ボソリと言った。
「そのラジオネーム、俺だ」
「は?」
「母さんにプロポーズする前、投稿したやつだ。読まれてたなんて、知らなかった」
 朝の光の中で、私は手元のMOディスクを見つめた。虹色に光るシャッターの奥に、父さんの恥ずかしい青春と、母さんへの想いが物理的に焼き付いているような気がした。
「……あのスピーカー、まだ実家の納戸にあるやつ?」
「ああ。捨てないでくれよ。高かったんだから」
 私は苦笑して、ディスクをポーチにしまった。朝の公園は、いつもより少しだけ照れくさい空気に包まれていた。