垂直農場のコイン・トス

──平成0x29A年04月26日 21:50

第十三農業ブロック、通称「緑の塔」の三百四十階。気密ガラスの向こうには、東京湾岸の黒い海と、点滅する航空障害灯の群れが広がっている。
時刻は二十一時五十分。俺、三田村カイは、出荷用パレットの前で立ち尽くしていた。目の前には、遺伝子調整された高級キャベツ「翠玉(すいぎょく)」が満載されているはずだが、ゲートが開かない。

「警告。出荷コンテナの署名ハッシュが不一致です」

耳元のインカムから、抑揚のない合成音声が響く。俺の相棒である祖父のエージェント・三田村ゲン(享年七十二)は、あいにく定期倫理検査でドック入り中だ。代わりに割り当てられたのは、この代理エージェント「Type-Standard」。通称、シロ。融通が利かないことにかけては、かつての役所の窓口以上だ。

「シロ、再計算しろ。中身は間違いない」
「否定します。党ドクトリン第82条に基づき、例外処理には現場作業員によるブロックチェーン投票が必要です」

俺は舌打ちをして、隣で欠伸をしている同僚のボブに合図を送る。俺たちは手首の端末をかざし、空中に浮かぶARウィンドウで「承認」をタップした。分散型台帳に俺たちの合意が刻まれる。大層な仕組みだが、やっていることはただのドア開けだ。

「投票により承認されました。これより、物理トークンによる解錠プロセスへ移行します」
「物理トークン? なんだそれは」

シロが一拍置いて、翻訳データベースを検索するような間を作った。

「該当語彙を変換……『ゲームセンターのメダル』を投入してください」

俺とボブは顔を見合わせた。高層農業プラントの最新鋭物流システムが、何を求めているんだ?
「誤訳だろ、シロ。電子鍵のことか?」
「いいえ。形状定義データと一致します。直径二十五ミリ、真鍮およびニッケル合金。投入口はあちらです」

シロがARで指し示したのは、コンテナ制御盤の脇にある、古びた金属のスリットだった。塗装が剥げ、マジックで『1PLAY 100YEN』と微かに書かれている跡がある。どう見ても、リサイクル部材の流用だ。平成エミュレーションのために、過去の遺物を無理やりシステムに組み込んだ弊害だろう。

「持ってねえよ、そんなもん」
「休憩室の引き出しに、先代の管理人が残した『記念硬貨』があります」

シロの指示に従い、俺は埃っぽい休憩室からジャラジャラと重たい袋を持ってきた。中には、かつてのアミューズメント施設で使われていたと思しき、安っぽい銀色のメダルが大量に入っている。
半信半疑で、スリットに一枚投入した。

チャリン、という間の抜けた音が響く。

『CREDIT 01』

制御盤の液晶にドット文字が浮かんだ。ゲートのロックが重々しい音を立てて外れ、キャベツのコンテナが動き出す。俺たちは脱力してその場に座り込んだ。

「処理完了。納品伝票を出力します」

シロが事務的に告げると、フロアの隅に設置された「サンクス・マート」のロゴが入ったマルチコピー機が唸りを上げ始めた。ウィーン、ガシャン。排出されたのは、温かいA4用紙が一枚。本来は電子データで済むはずだが、この物理トークン認証を通すと、なぜか紙での控えが必須になるらしい。
俺がその紙を取りに行くと、背後で再びチャリン、チャリン、と音がした。

「なんだ?」
「あ、カイ! 見ろよこれ!」

ボブが指差す先、制御盤の下にある返却口から、メダルが滝のように溢れ出していた。

「……シロ、これは何だ」
「定義ファイルの再解釈結果です。ブロックチェーン投票による合意形成の報酬として、規定の『ジャックポット』が適用されました」

床に散らばる大量のメダル。キャベツの緑と、メダルの銀色。俺は呆れて言葉も出ない。
「これ、何に使えんだよ」
「当プラント内の自販機、または次回の解錠プロセスに使用可能です」

俺はため息をつきながら、床のメダルを拾い上げた。指先に残る鉄の臭い。三百年前の人々は、こんな重たいものを必死に集めて、何と戦っていたのだろうか。
コピー機の排熱ファンの音だけが、夜の静寂に響いていた。