総理、そのラーメンまだですか?

──平成0x29A年10月29日 03:50

午前三時五十分。自律型配達ドローン『ポチ3号』のモーター音が、やけに湿っぽく聞こえ始めた。

『健太、ポチの右前脚、第三関節のアクチュエータが逝きかけてるぞ。トルクが定格の七割切った』

脳内に直接響く兄貴の声。相変わらず、機械の不調を見つけるのだけは天才的だ。
「マジかよ、翔太兄ちゃん。あと五件。例のばあちゃんのリモート診療端末の交換もあるのに」
『知るか。規定だろ。最寄りのメンテステーションにピットインしろ。無理させっと墜落して、お前の査定も墜落だ』

舌打ちしながら、俺は配達車のハンドルを切った。路肩に浮かぶ無人のメンテナンスステーションの青い誘導灯が、霧雨に滲んでいる。

ポチをドックに接続すると、案の定、診断モニターに「部品C-32の摩耗限界」と赤く表示された。予備部品の在庫を確認すると、無慈悲なゼロの数字。

「おいおい、嘘だろ」
『最近多いんだよ、このロットの不良。党のドクトリンが推奨するリサイクル材の配合率、あのアルゴリズムじゃもう限界なんだって』

兄貴がぼやく。三百年間も社会を回してきたっていう暗号アルゴリズムも、そろそろ寿命らしい。

『しゃあねえ。プリントアウトするか』

最終手段だ。ステーションの3Dプリンタで部品を緊急製造する。もちろん、第0x88A12物流ユニットへの差分申請と、ドクトリン署名が必要になる面倒な手続きだ。

俺はコンソールを操作し、部品データを読み込ませる。データはなぜか物理メディア支給で、会社のロッカーから持ってきたCD-Rをドライブに突っ込んだ。プラスチックの虹色が、平成の遺物みたいで笑える。

「よし、申請っと」

送信ボタンを押す。通常なら数秒で承認されるはずが、画面には「署名検証中…」の文字が点滅したままだ。

『あー、まただ。アルゴリズムが整合性チェックで無限ループ起こしてる。今日はツイてねえな』

「勘弁してくれよ……」

待つしかない。俺は荷台からお湯を沸かし、カップのインスタントラーメンに注いだ。豚骨の匂いが狭い運転席に充満する。『平成の伝説・黄金のブタ』のミニチュアが当たるキャンペーンシールが、やけにキラキラして見えた。

『お前、まだそれ集めてんのかよ。当たるわけねえだろ』
「夢くらい見させろって」

三分が永遠のように長い。承認はまだ下りない。リモート診療端末を待っているばあちゃんの顔が浮かぶ。あの端末がないと、本土の医者と話せないんだ。

もう諦めて、自分の足で配るか。そう思った瞬間、コンソールの表示が切り替わった。

【承認】

それだけじゃない。本来は通らないはずの「非純正部品の緊急使用記録」や「超過時間勤務の特例申請」まで、まとめて緑色の承認マークが灯っている。

「え、なんで……」

『ははっ、マジかよ健太!お前、今、最高にツイてるぜ!』

翔太兄ちゃんが腹を抱えて笑う気配がする。

「何がだよ?」

『ログ見た。さっきの五分間、第0x88A12内閣ユニットの臨時首相権限、お前だったぞ』

俺は、手に持ったプラスチックのフォークを落としそうになった。

「俺が……総理大臣?」

『おう。んで、お前の脳波パターンからして、ラーメン待ってる間に無意識で『全件一括承認』のコマンドを出しやがったな。おかげで溜まってた他の申請も全部通って、物流ブロックは大騒ぎだ。だが、お前の部品は無事プリント開始だ。よかったな、総理大臣閣下』

ステーションの奥で、3Dプリンタが青い光を放ちながら静かに稼働を始めた。俺はただ、湯気の立つラーメンを前に呆然と立ち尽くすしかなかった。