年越しのバックヤード、あるいはMDに残った周波数

──平成0x29A年12月31日 00:40

 大晦日の深夜零時四十分、バックヤードのブラウン管テレビが年越し特番を映していた。

 画面の中では司会者がカウントダウンまであと何時間、と叫んでいるけれど、音声はほとんど聞こえない。スピーカーの片方が死んでいるから。代わりに私の耳にはMDプレーヤーから流れる小室哲哉が届いている。イヤホンの右だけ。左は三年前に断線した。

 私はスマート冷蔵庫の前にしゃがんで、在庫ログを睨んでいた。

 冷蔵庫は賢い。勝手に発注をかけ、勝手に温度を調整し、勝手に賞味期限を管理する。けれど「おでんの仕込み数」だけは手入力しないと動かない。平成的慣行として店長が毎年の大晦日に決める、と内部マニュアルに書いてある。その店長が、今年の秋に辞めた。

 ——梢、仕込み数についてだけど。

 左耳の奥で母の声がした。エージェントの中沢弘美。享年四十四。膵臓を悪くして、私が高校二年のときに逝った。

「うん」

 ——去年の売上ログ見ると、大根と卵がだいぶ余ってる。七割でいいんじゃない。

「七割ね」

 私はスマート冷蔵庫のタッチパネルに数字を打ち込む。パネルの横に貼られた手書きのPOPには「おでん70円均一」。値段の根拠は誰も知らない。

 冷蔵庫が受理音を鳴らした直後、腰のポーチで位置情報ビーコンが短く振動した。店舗内ビーコンは従業員の動線を記録していて、バックヤードに二十分以上いると「売り場復帰推奨」の通知が来る。無視しても罰則はない。罰則はないけれど、ログには残る。ログに残ると、内閣ユニットのどこかが拾う。拾ったところで五分間の総理大臣が何をするわけでもないのだけれど。

 ——通知来たわよ。

「わかってる」

 私はイヤホンの右からTMNを聴きながら立ち上がった。ブラウン管の画面では紅白もどきの歌手がステージを降りるところで、テロップに「第0x7A120内閣ユニット 本日の閣議承認件数:1,042件」と流れた。大晦日でも止まらない。誰かの五分間が、今もどこかで回っている。

 棚の上に、前の店長が置いていった段ボール箱があった。中身はMDが十数枚と、手書きの仕込みノート。表紙に「大晦日の段取り」とある。開くと、年ごとのおでんの仕込み数がびっしり記されていた。大根、卵、こんにゃく、ちくわぶ。毎年少しずつ数が減っている。客が減ったのか、それとも仕込む気力が減ったのか。

 最後のページに付箋が貼ってあった。

「中沢さんへ 来年からよろしく。味だけは変えないで」

 ——あんた宛てね。

「……うん」

 付箋の下に、おでん出汁の配合が書いてあった。スマート冷蔵庫のレシピデータベースにはない、手書きの数字。昆布何グラム、鰹節何グラム、醤油は「目分量」。

 私はそのノートをエプロンのポケットにしまった。位置情報ビーコンがまた震えた。売り場に戻れ、と。

 ブラウン管の時計表示がちょうど零時五十分を指していた。年が変わるまで、まだ少しある。

 MDプレーヤーのディスクが一周して、最初のトラックに戻った。母が好きだった曲。私が選んだわけではない。前の店長が入れたMDに、たまたま入っていた。

 ——梢。出汁、明日取るの?

「今から」

 ——そう。じゃあ手伝うわ。昆布の戻し時間、言うから。

 私はスマート冷蔵庫に「昆布」と入力した。冷蔵庫が在庫ありと返した。けれど分量はノートを見た。画面ではなく、紙の上のインクのにじみを。

 誰かが続けてきたことを、誰かが続ける。それだけのことが、年の終わりにはやけに重たい。

 左耳は静かで、右耳では九十年代が繰り返している。バックヤードの蛍光灯がひとつ、ちらちらと点滅していた。