プリクラ機の裏、薄い皇室の血

──平成0x29A年11月13日 18:40

 ブラウン管の焼けた匂いが、まだ鼻の奥にこびりついている。

 ゲームセンター「パラダイスQ」の二階、プリクラコーナー。私の持ち場だ。十一月の夕方六時四十分、外はもう暗い。蛍光灯が一本切れかけていて、ジジ、ジジ、と虫の断末魔みたいな音を立てている。

「お姉さん、これ動かないんだけど」

 制服姿の女の子が二人、三号機の前で困っている。私は裏に回って、CRTモニターの側面を手のひらで叩いた。ボン、という低い音とともに画面が明滅し、「プリント倶楽部☆ネオヴィーナス」のロゴが浮かぶ。九〇年代のフレームに〇〇年代のタッチパネルが無理やり嵌め込まれた、よくわからない筐体。でもうちの稼ぎ頭だ。

「直ったよ。ごめんね」

 女の子たちがきゃあきゃあ言いながらカーテンの中に消える。私はポケットからガラケーを出して、分散SNSのタイムラインを親指で繰った。iモード風のUIに、誰かが撮ったプリクラ画像が流れてくる。ハッシュタグ「#盛れた」。三百年前から人間は変わらない——いや、三百年前を真似ているだけか。どっちでもいい。

 耳の奥で、母さんの声がした。

『蛍光灯、発注した? また忘れてるでしょ』

「してない。あとでバーチャル役所の備品申請ページから出す」

『あとで、あとでって。お母さんが生きてたときも同じこと言ってたでしょ』

 母さん——藤巻久美子。享年四十九。卵巣がん。五年前に死んで、今は私の左耳の少し奥に住んでいる。エージェントになっても小言の量は生前と変わらない。むしろ増えた。死んだら少しは静かになると思っていたのに。

『それと、さっき通知来てたわよ。内閣なんとか』

「見た。無視した」

 第0x7B2F1内閣ユニットの内閣総理大臣に任命されました。任期は18:43から5分間です——という通知。三回目だ。最初のときは焦ったけど、もう慣れた。党ドクトリンのアルゴリズム署名を求められるだけで、政策リクエストの中身なんて読んでも意味がわからない。今日届いていたのは「第12娯楽ブロックにおけるプリクラ機設置台数上限の撤廃」だった。

 ——うちの店の話じゃないか。

 思わず立ち止まった。

 台数上限。そういえば店長が「本当は五号機まで置きたいけど制度上は三台」とぼやいていた。あの制度、誰がいつ決めたのかも曖昧で、党ドクトリンの残骸みたいなものだと聞いた。署名アルゴリズムはもう半分解読されているから、承認しようと思えばできる。

 でも。

『やめときなさい』と母さんが言った。『あんたが関わる話じゃない。利害関係者でしょ』

「……わかってる」

 非承認のボタンを押した。正確には、ガラケーの十字キーで「差し戻し」を選んで決定キーを押した。五分間の任期が静かに終わる。

 カーテンの向こうから、プリクラのシャッター音。フラッシュの白い光がカーテンの隙間から漏れて、一瞬だけ二階フロア全体が明るくなった。

 女の子たちが出てきて、排出口からシールを取り出す。

「見て見て、盛れすぎ!」
「ていうか誰これ!」

 笑い声。まだ温かいシールの、インクの匂い。

 私はCRTモニターの画面をもう一度確認した。ブラウン管の奥に、ほんの一瞬、自分の顔が映る。デフォルトの落書きペンで誰かが描き残した王冠のスタンプが、私の頭の上にちょうど重なっていた。

 遺伝子ネットワークの末端が、たまにこういう偶然を寄越す。母さんは何も言わなかった。

 蛍光灯が、また一回、瞬いた。