皇居外苑、参道に降る微かな雪

──平成0x29A年05月25日 16:30

俺の名前は神宮寺透。三十五歳。第2観光案内ブロックの外国人向け観光案内員として、皇居外苑の参道脇にある小さな詰所で働いている。

今日も自律型バスが静かに到着する音が聞こえた。窓の外を見ると、白い車体に「IMPERIAL PALACE TOUR」と英語で書かれたバスが、砂利を踏んで停まっていく。扉が開き、観光客が三々五々降りてくる。全員、耳に自動翻訳イヤホンをつけている。最近の標準装備だ。

「透、今日は何人来てる?」

声が頭の中に響く。父さんだ。神宮寺昭、享年六十三。心筋梗塞で逝った。生前は皇宮警察の外周警備を長く務めていた人で、今は俺の近親人格エージェントとして、毎日この詰所に付き合ってくれている。

「三十人くらいかな。今日は韓国からのツアーが多い」

俺は磁気定期券サイズの端末を取り出し、iモードサイトの観光客管理ページを開く。青と白のシンプルな画面に、本日の入場者数と国籍の内訳が表示されている。このシステム、見た目は二十世紀末そのものだが、バックエンドは最新の暗号処理が走っているらしい。俺には関係ないが。

「ああ、そうだ。透、ちょっと妙なことがある」

父さんの声が少し硬い。

「何?」

「遺伝子ネットワークの参照ログにな、微細な異常が出てる。参道を歩いてる観光客の中に、ごく薄い皇室遺伝子の反応があるんだが……距離が合わない」

「距離が合わない?」

「ああ。ネットワーク上では、その反応が参道の奥、つまり皇居の敷地内から来てることになってる。でも実際には、外苑のこっち側を歩いてる人間から検出されてる」

俺は端末の画面を切り替える。父さんが共有してくれたログが表示される。確かに、座標にズレがある。数メートルだが、明らかにおかしい。

「バグか?」

「たぶんな。でも報告義務がある。透、お前が今日、五分間の総理大臣に選ばれたら、この異常を閣議で扱うことになるかもしれん」

俺は溜息をついた。五分間の総理大臣。ランダムで回ってくる、あの面倒な役割。俺も一度だけ経験がある。あの時は、観光案内所の看板の文言修正リクエストを承認しただけで終わった。今回もそんなもんだろう。

「まあ、今日は来ないだろうけどな」

「そうだといいがな」

父さんの声は、少しだけ遠い。

観光客たちが参道を歩いていく。誰が、その「微細な異常」の持ち主なのかは、俺には分からない。皇室遺伝子は、国民の誰にでも薄く伝播している。それがこの国の形だ。誰も意識しない。でも、システムは常に見ている。

俺は端末を閉じ、詰所の窓から外を眺めた。参道には、五月の午後の柔らかい光が差している。観光客の一人が、自動翻訳イヤホンを耳から外し、何かを呟いている。その姿が、ほんの一瞬、雪のように白く見えた。

「透、報告書、出しとけよ」

「ああ、分かってる」

俺はそう答えて、再び端末を開いた。iモードサイトのフォーム入力画面。項目を埋めていく。異常の内容、座標のズレ、検出時刻。全部、淡々と。

この異常が何を意味するのか、俺には分からない。でも、それでいい。俺の仕事は、記録することだけだ。